それは軌跡を辿るため。
祖母が、父が、そしてぼくに良くしてくれた近所のおじさんが残してくれた軌跡に感謝をし、今ぼくが担っている町内の役割を後生に伝えていけたら、少しでも役に立てるのなら、ぼくはその役を喜んで全うしようと思っている。
そんな役を担っていた父の姿を覚えている。
ぼくに比べて、うんと不器用だった父が一生懸命動いていたのを。
だからぼくも、そんな道を残さなければならないと思っているんだ。
もう60年近く参加していることになるが、途中サボった年もあったけど、会社を始めてからはずっと参加しているから35年は連続しているだろうな。その間、所沢は大きく変化していった。
ぼくが住んでいるいわゆる旧町に数々のマンションが建つにつれ、祭りに参加する人達がどんどん増えていったのを覚えている。
当たり前だが知らない顔が増えるから、近くからは賛否両論が聞こえたが、ぼくは歓迎した。だって所沢が発展していくかも!もしかしたら都会になるかもしれない、とワクワクしか感じられなかったから。だからぼくはその当時から見知らぬ子どもにも沢山声を掛けた、ワッショイって。任されていた山車の安全運行をしながらね。
逆に、ぼくの父親世代がどんどん亡くなっていくのを毎年のように感じていた。我が父もそうだったように。
最近では、お年を召した方々のお顔が見られなくなることを受け入れざるを得ない日々になってしまったが、ある日、悲しいお知らせを聞いた。
いつも「まーちゃん、まーちゃん、」とぼくに良くしてくれたおじさんがお亡くなりになっていた。昨年は挨拶できていたのに今年は見られなかったので、どうしたのかなと思っていたところ、急逝されたと聞いた。聞けば、ご家族の意向でまわりには知らせなかったのだと。
おじさんにはいろいろとお世話になった。
一言では言い尽くせないほど子どもの頃からお世話になっていた方なのだが、その中でも特に感謝している二つの話をしたい。
一つ目は、それはぼくがまだ若き頃、この性格を知ってか知らずか、表に出たがらないぼくに、
「まーちゃん、自分で会社をしているなら所沢商工会に入りなさい、きっと役に立つから、」と勧めてくださった。あまり乗り気じゃなかったぼくの手を半ば強引に引っぱって。
お酒も飲めないし、ゴルフもできない、じゃあどうやってお付き合いしたら良いの?と思っている間もなくすぐに関係者の方が来られて、ササッと繋げてくださった。
そのおかげで今は多くの方との交流があり、とても充実しているのは言うまでもない事実。いろいろな方々に声をかけてくださったり、様々な伝手を作ってくださったり、挙げればきりが無い、とてもお世話になったのだ。
そして二つ目の感謝すべき事は、我が父の意を受け継ぐべく、所沢祭りでのぼくの立ち位置をつくってくださった。
30年くらい前、ぼくの会社には威勢の良い男子が十数人居て、その男子軍を祭りに出して欲しい、と言われた。そして、その当時の町内会長と頭(かしら)とおじさんから、亡き父の後を受け継いで、山車の運航を安全に守る役割を任せて頂いたのだ。
その時、頭から「おい、まーちゃん、ほら、これお守りだ!」と、半纏を締める美しい帯を頂いた。少し年季の入ったその美しい帯、「締める位置は腹、この辺りだぞ!」と締め込んでくださり、ポンっと肩を叩いて微笑んでくれたのを鮮明に覚えている。
おじさんはとても責任感あふれる方で、頭の回転が速く、何事もササッと決断し、今風にいえば、キレッキレで男前な方だった。
街のことをいつも気にして、道路の曲がり角のミラーが曲がっていて危険だからと、通報してくれたりして、いつも正直だった。
中でも本当に素晴らしいなと思ったのは、誰にも色目を使わず、平等に接してくださったこと。それはぼくにも、もちろんそうしてくださったんだ。
だからぼくは信頼した。
だから言われたことは全部聞き入れた。
うちの賽銭箱が盗難に遭ったときも、自分のことのように気にしてくださって、それは偶然だろうけど一番最初に見つけてくださったりもした。
そしてときどき、
ぼくの亡き父の話もしてくれた。
もしかしたらおじさんは、ぼくの内気な性格は、あの父親譲りなんじゃないかな、と感じてくれていたのかもしれない。
だからこの地元の祭りで、ぼくの立ち位置を不動にしてくれたのかもしれない。
今日、所沢祭りが終わった翌日、おじさんの家に行って献花をさせてもらい、お線香をあげさせて頂いた。
時がずいぶん経っちゃっていたから心の中で、すみません、って言いながら。
お仏壇の横には、祭り半纏を颯爽と召してらっしゃるお写真があった。ご家族皆さんが笑顔で写っている写真や、赤いネクタイで堂々と構えている写真、若きハンサム時代の見たこともないモノクロ写真もあった。
ご家族には、何故ぼくがこんなにも感謝しているのか、というこの二つのお話をさせて頂いた。何故ならぼくが、なんでこんなにもおじさんにお礼したいのか解らないと思ったから。
軌跡を辿ること、
いや軌跡とは、辿らなければいけないのではないだろうか。
自分の身内になら誰でもするだろう。そうではない。
自分の道を作りだしてくださった、先人が残した軌跡を辿ること、そこには何かがあると思っている。
いま自分が置かれている場所、自分が立っている、その足元を見るのだ。
いまぼくが生きていられるのは、いま健康なのは、いまメシが食えているのは、いま、いま、いま、、、
ぼくが歩む道、いや、歩ませてもらってる道は、先人が作りだしてくれた大切な道。そう思うと胸が熱くなる。
軌跡とは、、、作ろうと思って作れるものではないのを知っているから。
ぼくが思う軌跡とは、
”課されたことに一心不乱に打ち込んだ者にしか作り出せない唯一の道”なのかもしれない。
ぼくにそんな道を作り出せるだろうか、
あのおじさんが作ったような美しく輝く消えることの無い道を…



















