わかりますよね!餌
食いしん坊の彼は、いつもぼくと一緒にプロテインを摂る(笑
仲良く一緒に食べたいけど、
いつもキミはぼくより、お食事に夢中✨
でもね、
ぼくはキミと同じ時間を過ごせるだけで幸せなんだ
大切な時間を過ごせることに感謝なんだ
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わかりますよね!餌
食いしん坊の彼は、いつもぼくと一緒にプロテインを摂る(笑
仲良く一緒に食べたいけど、
いつもキミはぼくより、お食事に夢中✨
でもね、
ぼくはキミと同じ時間を過ごせるだけで幸せなんだ
大切な時間を過ごせることに感謝なんだ
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今日、閉店まであと3日を残すのみとなった渋谷西武での最後のイベントで、デザイナーであるぼくの義理の息子が生み出した「ENGINEKO」という作品を展示販売するということで応援しにきた。
セゾングループはもともと若手発掘の門を常に開き、デザイン、工芸、アートなどのカルチャーを… noteサイトへつづく。
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ご覧頂きましてどうもありがとうございます。
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本ブログとあわせてご愛顧頂けますと幸いです。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
noteへ
ありがとう、渋谷西武百貨店
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当時の設計室は、緩やかな陽射しが入る掃き出し窓からバルコニーの外に出ると、目の前には大きな桜の木が何本もあって、ちょうど春の今頃でしょうか、ピンク色が鮮やかな桜が咲き誇り、その花びらが風に乗ってこのお部屋に入ってくるような、それはそれは原宿とは思えないステキな景色が広がっていました。
しかしそれから数年も経たたないうちにその見事な桜の木は伐採され、すぐに大規模な開発が始まり、今ではとんでもない富裕層が住むであろうマンションが建てられました。
そう、時代は移り変わります。
常に失われるものと生まれてくるものとが交差し、新しい価値へと変貌を遂げていきます。
そのバルコニーからの景色はまるっきり変わってしまいましたが、原宿に残るヴィンテージマンションの風格と、我がR&D表参道設計室のアイデンティティーだけはずっと残り続け、ぼくはそれを自分の魂と重ね合わせるように過ごしてきました。
なぜぼくはヴィンテージマンションに拘るのか?
その理由は、それらが持つヘリテージ(遺産)とイノベーション(革新)のバランスが、ぼく自身の考え方や自分の建築様式のベースと完全に合致しているからに他なりません。自然を心底愛してるし、ノスタルジアや思い出、回想、 歴史、そういったものがぼくの人生の根底を流れ、常にそこへのアクセス(感謝)をしているからだと思っています。
新しいR&D表参道設計室は、あの当時、一番入りたかったヴィンテージマンションで、実は20代の若き日からずっと憧れていた場所なのです。ご存知の方も多いと思いますが、ぼく自身の建築の学びの場が渋谷だったので、いつもその帰り道、ファイヤー通りから代々木体育館の坂を上り、途中から右手に見えてくるコープオリンピアの建築にずっと心を惹かれていました。そして坂を上りきった信号の袂で「コープオリンピアでゴール!」といつも独り言を言いながら原宿駅から帰路についていました。
そんな若き日を振り返っていたら、昨年あっという間に創業35年を超えていき、当のぼくも今年60歳を迎えるオッサンへと。何とかここまでやって来れたなと、少しだけ褒めつつも、でもまた新しいランドセルを背負いたい気分でもあるんです。
ここ新しいR&D表参道設計室は、今までオハナの皆さんに行わせて頂いた数々のご対応をメニュー化して提供する場所であり、それを建築に落とし込んでいくR&Dの場所として新しく再定義しました。
『え?何のことだ?』と思われるかもしれませんが、皆さんと最初にお会いしたときにした数々の会話のことです。
これから住まいづくりを考えていて、それは新築もリフォーム・リノベーションもしかり、まだエムズデザインをよく知らないし、まだ私たちに託すと決めていない”住まいづくり迷い子さん”達へ向けて、「住まいづくりで本当に大切な事は、すべてあなた自身の中にあるのです、必要なことも優先順位も全部、あなた自身が持っているんです」ということをお伝えする場所にしたいと思っています。
ぼくがずっと言い続けている”人間中心設計”(HCD)を更に掲げ、それはオハナの旗と同時に、あなたのような家づくり成功者をもっともっと増やしていきたいと思っていますし、そんな迷い子さん達を救っていきたいと本気で思っています。
住まいづくりは正解が無い世界なのかもしれません。しかし終わったあとに6〜7割の方が少なからず後悔していることも事実らしいのです。(リクルート社調べ)この現実は、成功した方には全く理解できないことですよね。だからこれからも私たちエムズデザインは生意気ながら、そんな迷い子さん達を、そして困ってる方々を、人生づくりのプロとしてお役にたちたいと思っています。
改めまして、
オハナの皆さまへ
ぼくはいつもあなたに逢いたいと思っています。
1965年竣工のこのヴィンテージマンション、コープオリンピアにぜひ遊びに来てください。
エムズデザインはこれからもずっとAuthenticでおりますので。
新しい住所はこちらになります。
________________________
150-0001
東京都渋谷区神宮前6−35−3 コープオリンピア 405号
JR原宿駅、東京メトロ明治神宮前駅から徒歩1分
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:追伸:
55という数字で思い出すのは、、、
コント55号
松井秀喜55
エンジェルナンバー55は、新たなステージへの変化
あと、、、
マッハGOGOGO
GOGOと言えば郷ひろみ…なぜか時々似ていると言われます💦
なぜ?
愛するオハナの皆さま
関係業者各位
毎々格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。
この度、私たちの原宿オフィスは移転いたしました。
新しい住所はこちらになります。
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150-0001 東京都渋谷区神宮前6−35−3
コープオリンピア 405号
JR原宿駅、東京メトロ明治神宮前駅から徒歩1分
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11年前、2015年からスタートしたR&D表参道設計室は、創業35周年を機に嬉しい移転となりましたことをご報告申し上げます。
新しい場所は、当時から私の第一希望だったJR原宿駅を降りてすぐ右手の目の前、私が生まれる前から表参道をずっと見守ってきたヴィンテージマンション「コープオリンピア」になります。
再びヴィンテージマンションにて。
今までの場所も大変風格があるヴィンテージマンションで、エントランス脇にプールがあったりして(使用不可)、私の好みでは御座いましたが、こちらはさらに歴史があり、そしてとてもハイクラスな昔のホテル仕様のマンションになっています。(コチラは屋上にプールあり*使用不可)
コープオリンピアの竣工は1965年で、私の一つ上の先輩建築。ですから今回、なんとなく背筋を伸ばして襟を正して、ネクタイをきゅっと締め直してから「失礼します!ペコリ」と挨拶をしてから入りました。
R&D表参道設計室には、本当に沢山のご相談者さまが来てくださいました。
東京都内はもちろん、横浜、千葉、埼玉、その他の県からも。初めてお目にかかる初回の無料相談がこの設計室で始まった方ばかり。 その後も、近くに来たからと遊びに来てくださったり、なんとなく原宿を楽しんでくださっているような…、それを私はとても嬉しく感じていました。
これからは更に、お茶飲み会や、お部屋は小さいながらプチイベント、インテリアコーデ&プランで楽しんだり、マンションリノベの勉強会なども行っていく予定です。
私たちは常に新しいお客さまとの出逢いを求めています。
しかし出逢いはすべてが思い通り、願い通りにいくわけではありません。
そこで「一期一会」
私たちは最初の出逢いを「一期一会」と考えています。
まずは、出逢ってみる。 その出逢いでお互いの気持ちが合えば、おのずと惹かれ合うだろうと。
初回のお顔合わせでは、無理に合わせることはなく、素のまま、自然体で話してみてほしいし私たちもそう致します。 そうしてみればお互いに解ることが沢山あるのではないかと思いますし、思いがけぬ偶然や繋がりが起きるかもしれません。
ですので、私たちはご相談者の方に対して売り込みをしません。
まずは、あなたのお話を聞きたいと思っています。
『だけど、何から話したらいいんだろう…』そうおっしゃる方が大勢いらっしゃいますが、その心配は無用です。
多くの方はお顔を合わせて何となくお話をしていくうちに、何かをお気づきになったり、何かを感じてくださいます。私たちはそのように建築のプロとしてなるべく多くの”ヒント”を与えたいと思っています。
その後は流れで、必要を感じれば後の相談や調査に発展するでしょうし、そうでない場合には、この度の出逢いに感謝をしてお別れをすれば良いのです。
最後に愛するオハナの皆様へ
いつでも遊びに来てください。 あなたが遊びに来てくれることを私たちスタッフは本当に心から待っておりますから。 お近くにお越しの際にもぜひお声掛けを下さい。(マンションの都合で予約制になりますが。) 温かいハーブティーや、私の好きなコーヒーを入れてお迎えさせてください。
感謝
林 正晃
イカしてるだろ?Gentle!
彼らは職人さんで大切なパートナーなんだ!
「いゃ、近くにステキな花屋さんがあったから、、、」
って、もう何度もオハナラウンジに来ているくせに、
冗談交じりで、ぼくにと、、、。 noteサイトへつづく
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恵まれているな、と感じる。
だから「ありがたい、ありがたいよ、」って言葉をかける。
見事だよ、
本当に見事なんだ。
欲しいのは、この仕上がり、
だが、職人の技量は腕には無く、心にある気がしてならない。
不思議だよ、
その域に達している人達は皆、心がステキすぎるんだ。
彼の腕が必要だから、と名指しで呼ばれる職人達は皆、相手のことを深く考え、その仕事に責任を持つ。ハートが温かすぎるんだ。
その仕事は決して彼しか出来ないことじゃないかもしれない。
だけどぼくには、彼しか出せない美しい仕上がりがどうしても見えてしまうんだ。
そして、そんな腕を持っているヤツは皆、謙虚であり誠実。ぼくの目をしっかり見つめてくれる。
相手が求めていることを察知し、それに無言で答えられるヤツは皆、なんというか心意気が違いすぎるんだ。
それは男気なのか、それとも溢れる愛なのか、、、
「エムズさんだけですよ、そんなこと言ってくれるのは、、、」
それもわかる。
その価値を理解出来ない会社、その価値を必要としない世の中、
ただただその職種の中の一社として、多くの職人の中の一人としてしか見る必要がない、
そんなこと考える必要がない、そんなたいそうな仕事が無い世の中になっちまったからな。
本当はとんでもない腕を持っているのに、それを生かし切れない世の中、そしてそれは、ぼくらの魅力にも責任がある。
『そんな腕を持っているのなら、○○な仕事をしてもらいたい、、、』
『あなたのその腕を思い切り鳴らして、こんな施工をしてもらいたい、、、』
そんな仕事が少ないのは事実だから、、、反省するよ。
腕が良いから、心があるのか、
心があるから、腕が良くなってしまうのか、
ぼくは確実に後者だと思う。
神さまが人間をつくったとき、その人の心が腕に表れるように作ったんじゃないかな。
面倒くさがりや、自分の事しか考えない輩は、それなりの腕、
責任を持ち、相手を敬って、その境遇に感謝をして仕事をする輩は、その腕を勝手に植え付けてしまったとしか考えられない。
すべての仕事をきっちりと納め、後片付けを終えて車に乗った瞬間、
『あぁ、良い仕事だったな…』と感じてもらえたら、、、彼と会うといつもそう思う。
そしていつも、あんな男になれたらな、とそう思う。
これ、林に相談しないとダメだな、
これは、林にやってもらおう、とそんな男になれたら…
ランチをファミレスでして、ちょっとの時間だったけど20数年前からの思い出を語った。
そんな昨日、快晴の東京地方は20度を超えていた。
季節外れの温かな空気は、ぼくらの気持ちと一緒で、もう寒くなっただろう福島の風を温かく迎えたかったのかもしれない。
そして、一夜明けた今朝、
夜明けの冷たい空気をスッと吸い込んだら、ツッっと鼻の奥を刺した。
「あぁ、ヤツは”福島の風”を置いていったな、」って思ったら笑いが出た。
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今から11年前、
2014年3月17日に書いたblogのリンクです。
平成23年に発生した東日本大震災のあと、久しぶりの再会で思ったことを綴りました。
年月が経っても変わらない腕、思い、心意気…
頼りになる、ありがたい、そう思った気持ちは、今も昔も変わらなかったことが嬉しかったです。
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・USはいい顔になり、Hは自信が表れ、ぼくとヤツはかなり老けたな、2014年と比べると。笑
それは軌跡を辿るため。
祖母が、父が、そしてぼくに良くしてくれた近所のおじさんが残してくれた軌跡に感謝をし、今ぼくが担っている町内の役割を後生に伝えていけたら、少しでも役に立てるのなら、ぼくはその役を喜んで全うしよう。
地元の祭りで、父がそんな役を担っていた頃の姿を鮮明に覚えている。ぼくに比べて、うんと不器用だった父が先導に立ち、法螺貝を吹いて一生懸命動いていたのを。だからぼくも、そんな道を残さなければならないと思っている。
ぼくはもう60年近くこの祭りに参加していることになるが、途中若気でポツポツとサボった年もあったけど、会社を始めてからはずっと参加しているから35年は連続参加しているだろうな。その間、所沢は大きく変化していった。
ぼくが住んでいるいわゆる旧町に数々のタワーマンションが建つにつれ、祭りに参加する人達がどんどん増えていったのを覚えている。
当たり前の話だが、地元に知らない顔がどんどん増えるから、近所からは賛否両論が聞こえたが、ぼくは大きく歓迎した。だって所沢が発展していくかも!もしかしたら都会になるかもしれない、とワクワクしか感じられなかったから。だからぼくはその当時から、新しく引っ越して来ただろう見知らぬ子どもたちに沢山声を掛けた。「お祭りに出ようよ!ワッショイって」。
そう、だって盛り上げるのは大人であるぼくたちがやらなければならない事だし、ずっと任されていた山車の安全運行の任務を全うしたかったから。
逆に、ぼくの父親世代がどんどん亡くなっていくのを毎年のように感じていた、我が父もそうだったように。
最近では、お年を召した方々のお顔が見られなくなることを受け入れざるを得ない日々になってしまったが、ある日、いまの町内会長から悲しいお知らせを聞いた。
いつも「まーちゃん、まーちゃん、」とぼくに良くしてくれたおじさんがお亡くなりになっていた。昨年は挨拶できていたのに今年は見られなかったので、どうしたのかなと思っていたところ、急逝されたと聞いた。その町内会長曰く、悲しげな様相でこう言った。ご家族の意向でまわりには知らせなかったらしい。優しい町内会長の事だから、そのご意向を守り続けていたのだろうと立派に感じると共に、ぼくには教えてくれて本当に嬉しかった。
そのおじさんにぼくはいろいろとお世話になった。
一言では言い尽くせないほど、ぼくが子どもの頃からお世話になっていた方なのだが、その中でも特に感謝している二つの話をしたい。
一つ目は、それはぼくがまだ独立間もない若き20代の頃、この性格を知ってか知らずか、表に出たがらないぼくに、
「まーちゃん、会社として設計事務所をやっていくなら、こうして自分で会社を興したなら、所沢商工会に入りなさい、きっと役に立つから、」と勧めてくださった。いやいや、とあまり乗り気じゃなかったぼくの手を半ば強引に引っぱられるのだが、ぼくはお酒も飲めないし、ゴルフもできない、じゃあどうやってお付き合いしたら良いの?と思っている間もなくすぐに関係者の方が来られて、ササッと繋げてくださった。
そのおかげでウチの会社は、今は多くの方との交流があり、とても充実しているのは言うまでもない事実になるのだが、他にもいろいろな方々に声をかけてくださったり、様々な伝手を作ってくださったり、挙げればきりが無いほど、自分の事業にもとてもお世話になった方なのだ。
そして二つ目の感謝すべき事は、今回のblogタイトル。
我が父の意を受け継ぐべく、その意を承継し、所沢祭りでのぼくの立ち位置をつくってくださった。
30年以上前、ぼくの会社には威勢の良い男子が十数人居て、その男子軍全員を祭りに出して欲しい、と言われた。そう、勢いある男子の迫力を求めてくださったのだ。
その当時の町内会長と、頭(かしら)、そのおじさんから、我が亡き父の後を受け継いで、山車の運航を安全に守る役割をしてほしいと任せて頂いたのだ。
綱の先頭に立ち前を開けさせる役目、綱が曲がらぬよう整える役目、そして山車の屋根にのぼり、上部の安全を確保すること、操舵との連携。他にも、他の町内との引き交わせでは最前に立ち、煽る、いわば盛り上げ屋役。そしてまた安全へと導く。そんな役割なのだ。
その時、頭から「おい、まーちゃん、ほら、これはお守りだ!」と、半纏を締める美しい帯を頂いた。少し年季の入った美しい帯、「いいか、締める位置は腹、この辺りだぞ!」とぎゅっと締め込んでくださり、ポンっと肩を叩いて、年季の入った笑顔で微笑んでくれたのを鮮明に覚えている。
おじさんはとても責任感あふれる方で、頭の回転が速く、何事もササッと決断し、今風にいえば、キレッキレで男前な方だった。ぼくが建築士事務所を開設したときも「やったな!頑張れよ!」と声をかけてくださったり、他にも、街のことをいつも気にしていて、道路の曲がり角のミラーが曲がっていて危険だからと、通報してくれたりして、いつも勇敢で正直だった。
中でも本当に素晴らしいなと思ったのは、誰にも色目を使わず、平等に接してくださったこと。それはぼくにも、もちろんそうしてくださったし、違うものは違う、とちゃんと言える方だった。
だからぼくは本気で信頼した。
だから言われたことは全部聞き入れた。
うちの賽銭箱が盗難に遭ったときも、自分のことのように気にしてくださって、それは偶然だろうけど一番最初に見つけてくださったりもした。
そしてときどき、
ぼくの亡き父の話もしてくれた。
もしかしたらおじさんは、ぼくの内気な性格を、あの父親譲りなんじゃないかな、と感じてくれていたのかもしれない。
だからこそ、この地元の祭りで、ぼくの立ち位置を不動にしてくれたのかもしれない。
今日、所沢祭りが終わった翌日、おじさんの家に行って献花をさせてもらい、お線香をあげさせて頂いた。
時がずいぶん経っちゃっていたから心の中で、すみません、って言いながら。
お仏壇の横には、祭り半纏を颯爽と召してらっしゃるお写真があった。ご家族皆さんが笑顔で写っている写真や、赤いネクタイで堂々と構えている写真、若きハンサム時代の見たこともないモノクロ写真もあった。
そしてご家族には、何故ぼくがこんなにもおじさんに感謝しているのか、というこの二つのお話をさせて頂いた。だってぼくが、なんでこんなにもおじさんにお礼したいのか解らないと思ったから。
軌跡を辿ること、
いや軌跡は、辿らなければいけないものなのではないだろうか。
自分の身内の事なら、誰でもするだろう。そうではない。
自分の道を作りだしてくださった、先人が残した軌跡を辿ること、そこには大きな意味があると思っている。
いま自分が置かれている立場、自分が立っているその足元を見るのだ。
いま生きていられるのは、いま健康なのは、いまメシが食えているのは、いま、いま、いま、、、誰のおかげなのか、、、
ぼくが歩む道、いや、歩ませてもらってる道は、先人が作りだしてくれた大切な道。そう思うと胸が熱くなる。
なぜなら軌跡とは、作ろうと思って作れるものではないのを知っているから。
ぼくが思う軌跡とは、
”課されたことに一心不乱に打ち込んだ者にしか作り出せない唯一の道”
ぼくにそんな道を作り出せるだろうか、
あのおじさんが作りだしたような美しく輝く消えることの無い奇跡を…